常田獅子舞の歴史
 −長野県佐久市常田区−

毎年新年の1月2日に常田獅子舞が奉納される
常田獅子の歴史は古く、その始まりは元禄時代(約300年前)で
あると伝えられている
常田区は大きく3つに分かれている
南北へ向け、南から「上村
(かさむら)」「中村(なかむら)」「谷地村(やちむら)」と
呼んでいる、しかし現在「中村」と言う名称は使われてはおらず
東西に走る区の中央の道を境に
   南側を「上村」→通称かさ
(かみと呼ぶ人もいる)
   北側を「谷地村」→通称やち
と呼び行事事を行っている。
常田獅子も2体あり上村は雄獅子(男獅子)、谷地村は雌獅子(女獅子)と
なっている。
昔から継承されてきた常田獅子舞だが諸事情により一時中断した事がある。
昭和40年代後半〜50年代の初めこのまま途絶えさせてはいけないと
常田獅子保存会を発足、唄・舞・太鼓を守り今日に至っている。
現在のお獅子さんは2代目で、初代のお獅子さんは
公民館の大広間の高い所に奉られている
古くは子供達が獅子を被った事もあったが現在は太鼓にあわせ
子供が獅子舞の唄をうたい、大人が本舞を舞う形になっている。
12月31日にまず小学生が常田区全てに旗を立てる
新年1月2日朝7:00に旗を回収し、8:00に獅子舞を始めるのが
毎年の慣わしになっている。
昭和50年代までは12月31日の旗立てを子供達が真夜中に行っていたそうだ
常田区では、男児が誕生すると旗を、女児が誕生すると提灯をそれぞれ区に
奉納する、そしてそのお披露目が旗立てであり提灯は獅子舞の山車に
くくりつける
この地区では小学校に上がると、獅子舞の唄の勉強をする。
私も小学生の頃は12月になると毎晩唄の練習に行った覚えがある。
意味が分からないまま一生懸命唄を覚えるのである
上(かさ)のオス獅子と谷地のメス獅子では唄も違えば舞も違う
練習も上村と谷地村に分かれそれぞれ練習を行うのである
そして1月2日、まず常田区飯綱神社前で本舞を行ない獅子舞の始まりとなる
そして道祖神前など計4ヶ所で本舞を行なった後、
五穀豊穣・子孫繁栄・家内安全を祈る意味で、区内全ての家をおんべで
払い回る。
今は午後2時頃に終了となるが、私が小学生の頃(20年ほど前)は
各家でも本舞を行っており、夕方暗くなるまでかかっていたものである。
常田獅子の特徴は唄とその舞にある
上村の雄獅子は、唄も舞いも荒く激しい
谷地村の雌獅子は唄も舞いも優雅でやさしい

本来口のみで伝承されてきた常田獅子舞であるが
きちんとした形にしておかなければと言うことで、保存会発足と同時に
模式図を作成している。

常田獅子舞を次代に伝えるべく獅子保存会の練習は力が入っている。