体験談V心霊の世界
FILE 288【総体】 

様々な相談の中で
何とも言えない気持ちになるのが

絶えてしまう流れ。

何がいけないのか
どうしてそうなのか
なぜこうなるのか、と
問いは尽きません。
「流れ」と私がしつこく書くのも
そこに全ての繋がりがあるからです。


一人の人の人生は
その人の一生となりますが
一族の流れや、縁のつながりなど
総体からすれば、個は
流れの中の一部分である
総体である流れの中で
一部分である今そこを

「自分が良くなる為」に動かしたとて
総じてみると何の意味もない・・・
となってしまう事が
あってはならないと感じます。


もし、自らと関係のない過去やその縁から来る結果が
今の状態であるとして、あくまでそうであるとしての話・・・

何で自分がそんな影響を受けなければいけないんだ!
と理不尽を感じるのは普通です。
しかし、そのまま怒りや憎しみに傾倒していくなら
その状態がまず根本となり、そこを基点に
その人の心の発する気の流れが
その人を取り巻く周囲の流れの源となり
引き合うものもそこからの繋がりとなります。

そのまま飲まれていくと、自分がまず!と言う生き方になります。
幸せとは求めるものではなく、今あることへの感謝を意味します。

はっきり申し上げます
人は幸せになるために生まれてくるのではありません
すでに幸せである事に気がつく心を養うために生まれてくるのです。
私はそう感じております。

今ある物理的なものに幸せを求めると欲が無限に広がろうとしますので苦が生まれます
その前に、もっと根本に、目には見えない命の源を感じる事ができるかどうかを試すために
物理的な感覚に支配されているとしたら、と言うスタンスに立ってみると
なるほど仏道と言う一つの哲学が違う見え方をしてきます。
幸せとは目で見える形ではなく、心の状態そのものであり
環境や今の結果に左右されるものは希望や願望であり、それすなわち幸せとは違うのです。





さて、
ある方がこう言いました

「死んだ人に食べ物などあげなくてよいんだよ」  と。
確かにそうです


でもさみしくありませんか? その言霊。


ではなぜ供養しているのですか?
あなたにとって供養とはなんですか?


「供養はしなければいけないし
 親もその前からもそうしていたから
 しなければ罰があたるし申し訳ない・・・・」


心の存在はこう思うことでしょう

“罰があたるからしているなら
しないほうが、心穏やかのままいられるよ” と

ところが人の心は時に逆手に取ることで
自分の都合と、少しでも正当化しようとします

「ではしないほうがそっちの為になる」  と。

一度放った言霊が時にどれほどの呪縛力を持つか・・・・


言ってはいるが本当は分かっているから大丈夫ではなく
分かっていながら押す、その貫きが歪を生んでいることがおおく
いつでも退けると重いながら退くことができないから
負の継続を止められなくなるのです。

退けるほうが強いのです
なぜならば
折れないことも含め押しは誰にでもできますが、
退きはそれ以上の勇ましい気を持たねば出来ないからです


だからあっさり退いてみせる人って
次の展開が早いものです^^)


次の展開が早いという事は
過去に囚われていないので
相手がいつまでも根に持っている長い期間
すでにつ次の結果までたどり着き
はるか高みにまで到達できるということになります。

それに気がついたとき、良い意味の負けん気で転換すれば
その反動で高みに上がるステップとなりますが
それを無にしてしまうと、失墜を願うだけの気で支配されてしまい云々。



心は無限です
人の心に不可能はありません
思う事を実現できるだけの力を持ちながら
実現できないのは信じきれないからです。
無意識の段階まで心の方向性を広げていくと
思う事がそのまま実現してきます。

しかし、一瞬でもそれが出来たとして
それを継続するのは至難の業です。



必ず落とされます、いつのときでも
どこまで上がっても。
でも落ちが無ければあがれないのです。

リバウンドとはある意味バランスです。

ダイエットの後リバウンドして、前以上に太ってしまったとよく聞きます。
私もそうですが^^)
でも落とす時、逆に少しわざと戻すと、逆に落ちやすくなる事があります。
逆リバウンドですが、どちらにも同じ流れがあるのです。
それは何事においても存在する当たり前の流れなのですが

片側しか見ていないことに
気がつかないことが多いものです





合掌  浄霊師 神島千尋