体験談V心霊の世界
FILE 287【霊が怪我をさせる時】 

怪我や不運を霊が起こせるのか?
「起こせます」
ただし多くの人が想像しているものとは
ちょっと違うと思いますが
結果的にはそう言えます。

一つ事例をあげます

なぜそうなったか分からないが
階段から転がり落ちてしまったり
すべって転んだりし強打するケース

この時もし摩擦を感じないような感覚で
どうしてそうなったのか理解できない場合
霊的な現象である事があります。
実際ではなく、まるで空をすべるように
何の抵抗も摩擦もないようにスルリと抜けるような感覚で転んだり
まるでやわらかい空気のクッションを踏んですべるような感覚で怪我をしたなら
それは本来なら受けるべき出来事ではない可能性大です。


すべるような現象、何の抵抗も摩擦もないように
スルリと抜けるような感覚で起こる負
それは本来なら受けるべきではない出来事といえます。
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頂いたメールです
お手紙で水晶ブレスのお礼をと思っていたのに時間が経ってしまい申し訳ありませんでした。
ブレスを身に付けるようになり、毎日が新たな気付きの毎日です。
毎朝のお参り、掃除を終え、昇る朝日を見つめる日々を過ごす中で、なぜか心が乱れそうになる夜がありました。
いつものように昇る朝日を見つめていた時、気付いたんです
お天道様は全てのものに平等に光りを注いで下さる絶対的な存在。
私が見ているこの世がどんなに深い闇でも光りを注ぐ事が出来るはず。
心が乱れるという事は、意識はこの世にあり、もう一方の世界の光を完全に意識出来ていないという事。
自分の意識が完全に光に委ねた時、涙が溢れ安心感に包まれる気がしたのです。
『もっと自分達を信頼しろ』のメッセージはここに繋がっている気がしたのです。
今までの人生の流れの滞っていた理由も気付きました。
お不動様もご先祖様も、依存ではなく委ね、励み、心から感謝をする者を許し、無条件で包み込む温かさがある事を感じた時。私の心は楽になりました。
心の闇を委ねた時、昇る朝日に涙がこぼれ、ご先祖様に心から感謝する自分自身がいました。
光に完全に目を向けた時、この世の暗闇が闇でなくなる感覚が不思議です。
あの世とこの世に同じ光が降り注ぐ頃、私は一つ成長出来ていればいいなと思います。まだまだこれからです。
約束は守り通します。ありがとうございました。

今日は沢山泣いてしまってすみませんでした。
そっとティッシュを持ってきてくれた優しさに救われました。感謝感謝です。

先生のお話を聴いて、先祖に感謝することの大切さについて学ばせていただきました。
今まで生き会った人たちだけでなく、何千、何億人という人たちが繋いできた生命があってここに自分が居るということ。
その尊さに感謝して生きていこう。そう思いました。

早速、家に帰ってから神様にお線香をあげました。
毎日続けたいと思います。
続けることが、一番大変なのでしょうが。。。頑張ります!

今度は『感謝する』という基本が出来てきたら、またその先を聴きに行きたいです。
生まれ持った強い『気』を活かしていける人生を目指して!
今後とも、よろしくお願いいたします。

今日は本当にありがとうございました


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さて、話は戻ります

自らの意識ではしっかり歩いていたつもりであったり
足元を気にしているつもりが
足場が急に無くなる感覚で一段踏み外したりなども同じ。
自分の頭の中ではあるはずなのに・・・
その意識を少しだけ動かしてあげることで
そのつもりという、無意識の状態を保ちながら
意図的に意識のズレを生じさせることになります。

自分では「いつもの通り」でありながら
肉体には誤差がでます。
その時いる場所によっては
大きな怪我をする結果ともなります。


これが自らの不注意ならば致し方ないですが
不注意が習慣になるような生活の場合
つまり自らの心の力が失せていく無気力状態は
思いと行動のズレではなく
生命エネルギーの源が弱くなります。
この状態は、怒りや無念に満ちる想いにとっては
この上ない素材ともいえます。

気力が無いわけですから
さらに追い出しを図ることもありますし
支配して自らの肉体の変わりというような構図も
言うまでもありません。
もちろんどうあがいても肉体は奪えません。
つまりどんなにその肉体を自らの代わりとしても
結局は自らのバランスで動いているわけではなく
相手の心を洗脳同様に、都合の良い部分を増徴させ
その行動だけを極端に膨らませているだけですので
それをしているのは結局その体の持ち主と言うことになります。
どんなに恨みを晴らそうとしても
自らの行動ではないので尽きる事が無いのです。
つまり極論で言うならその肉体が滅ぶと
別の代わりになりそうな同じ波動を持つ心に移ると言うことになります。

この繰り返しをしている縁を頂く度に
本当にその怖さをしxtかりお伝えし
そこでとめるべく、その一族さまや
そのご家族さまがしなければならない事を
しっかりお伝えし、どう流れを作ればよいか
その地、その建物、そこに身を置く人
それぞれ一人一人の授かる気の方向性
それら全てを総合的に視ながら
心の浄化をしなければなりません。

受けるには受ける理由があるとよく言います
その理由は自らの心の隙であることも無きにしも非ず。

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悪霊や怨霊などという話を、
私はあまり好んでしません。
なぜなら
悪意や怨念は存在しますが
その殆どのケースで誤解があり、その誤解が
次の間違いを生んでいるケースが本当に多いからです。

例えば掴まれる様に痛みを受けている方がいます
これは霊的な影響の中では珍しくなくよくあることですが
この痛みが長く重くなってくると、
その影響を自体を負に感じます。
誰もそう思うものですが
実は、ありがたい出来事であることもあると知ってほしいのです。


良かれとしている事を、そう受け取らないことがあります。
ここに、判断基準の本質が隠れています。
どちらにも取れることを、どちらに感じるかは
その人の心一つなのです。


“あの出来事、わたしだったらとてもじゃないけど我慢できない・・・
 しかしあの人はそれを良い方に捉える・・・その感覚はすごいと思う。
 正直私ならとてもじゃないがそうは思えない・・・”


このケースは全てに通じます。
すごいと感じるのは本当はそうできたら良いのに、という事でもあります。
この時一瞬で自分は無理だと即座に心で自らの方向性を決めてしまい
つまりそれが実現して今の自分を継続しています。

些細なことでも、一つ心を動かす
その心を即座に行動としてみる。

そうですね^^、これを一番簡単に試せるのが起床時
覚醒しても布団から出れない、そんな時には心で即座に10からカウントダウンします。
1でパっと起き上がり行動を開始できるかどうか
試されていると思えば良いです。
この10秒間に様々な葛藤があるでしょう。
最後の最後まで抵抗する思考
早く動きたくなり1が待ち遠しい人
どうしよう・・・・と思う人
今日は起きなくても良い日じゃなかったっけ?と理由を見つける人


何をどうあがいてもいずれ動かなければいけないなら
その始まりをどうスタートするかが
その後の流れを決める事も多いものです。


合掌  浄霊師 神島千尋