体験談V心霊の世界
FILE 283【供養とは】 
先日こんなご質問メールを頂きました。

「毎日続けている(供養)のは、良いのですが
 しっかり伝わっているのか?
 思いや、気持ち、念?の厚みと言うか、重みと言うか、量は?
 届いているのか
 そもそも届けている方向・届け先は合っているのか
 聞いてみても返事があるわけでもなく
 伝わるのが少ないのであれば、
 神社やお寺に行きお参りした方が良いのか
 神主さんや住職さんと一緒に伝えた方が良いのか
 自分自身で納得していればよいのか
 そう
 つながる状態があるのか、
 つながるとは?
 もうすでに、つながっているのか
 繋がりを強めることはできるのか
 するためには、なにが出来るのかなどなど・・・(略」


webでお答えいただければ、とのことですので^^)

さて、メールから抽出した上記部分だけでも、
実は内容がてんこ盛りなのですが、整理すると

:日々の供養は本当に伝わっているのか
:思いや気持ち、量、重さ届いているのか
:その方向は間違っていないのか
:伝わりが少ない場合は神社仏閣でしたほうが良いのか
:繋がる状態
:そもそも繋がるとは?
:繋がっているならそれを強くすることは可能か?
:そのために何ができるか?

この内容から一つ見えてくるのは
物理的な確信を欲しているということ。


人は合掌するとき目を閉じます

なぜですか?


教わったわけでもないのに。


人の心には、はじめから備わっているものがあります
自然にそうしていることや
当たり前にしていながら意識していないことなど。

合掌してる親の姿を見た幼い子供
真似をしはじめる事があります。
2,3歳児が隣にちょこんと座り
自然に頭を少し下げながら目を閉じてなにやらもごもご
それらしいまね言を一つ二つ^^;


言われていないのに目を閉じているものです。


なぜならば目で見えない世界へ心馳せることで
内なる無限の空間へ意識をつなげようとしているからです。


目で見えない
手で触れることができない
感じる事も
においも味も無い

つまり人の唯一の感覚気管である五感では図れない
エネルギーを、触れようとしてもそれは土台無理な話なのです。


信心とは、信じ祈る心
そして仰ぎ願わくば、できる精一杯をさせていただくとお誓いする
それが信仰と私は感じております。


その流れを心で道筋となるほど継続していくと
明確な答えを頂きたいと感じていた心に、ある変化が現れます。
欲していたものは、すでに今手の中にあると・・・
すでに頂いていながら、それを感じる心を自分が養っていなかっただけだと。


知識のある方ならここでこう思うはずです
「全ての宿るものがありすべて無である、だから執着する必要も無い」と。
確かにそうですが、私が言うそれとは違います。


よほどの修行をしない限りその感覚になるのは難しいのです。

しかし簡単な方法でそれを感じる心を目覚めさせることができるのです。


足元に踏みつけている当たり前を
目の高さまで持ち上げてみる、それだけです。


難しい教えや厳しい戒律の中で広げた心の到達点ははるかに高いです

が、多くの人が今、それぞれの環境の中で今で生活をしているからこそ
その意味を一度考えてみることが、今問われているのだと感じます。
それが必然なのだと。


心のつながりは誰もが日々物理的な現象で体験しています
そう感じたことがないだけです。
テレパシーや以心伝心などと言う言葉になすると
胡散臭いイメージになってしまうので使いたくないのですが・・・
むしの知らせや不思議だな〜と、どう考えても普通ではない出来事は
肉体の世界では説明できませんのでなんとなく流して行きます。

運気や目に見えないリズムや調子のアップダウンなどがそれです。



先に述べたすでに頂いているものって何でしょう^^)



のどが渇いたらコンビニで
飲み物を選んで買えることに感謝してみたら
すでに頂いていることのあまりの大きさに・・・
これまで願っていた事はすでに叶っている事を知ります。


頼んで、それをしていただいたらだれもが当たり前にすることがあります。
しかし、見えない世界では、その当たり前を見事に無視していることが
多くあるものです。

獅子狛犬さん、仁王さま
くぐるとき、すでにその答えを見せてくれているのですね^^)



悩み苦しみながら貫くから信心なのだと感じます
苦しまねば神事貫く意味がないですものね^^)
なら、貫かねばと思える苦は、
それほどありがたいものはないと思えてきます。

苦しくなければ、貫く意味もないわけで^^)


心の世界で物質は意味を成しません
つまり、足りているかどうか心配するのは
肉体で生きる人の決まりごとの中での物としての価値からです。

たとえ杯一つのお水だけでも
そこに、心を込めれば
どんな高価な品物より
よほど供養となります!

砂漠ではその水が命をつなぐほど。

そして今
「合掌」できるなら
もうそれ自体加護の中であることを
まず、感謝しなければ何も始まらないともいえます。



答えになれば幸いです。




合掌  浄霊師 神島千尋