体験談V心霊の世界
FILE 274【生霊】 
こんな道を飛ばしながら
感謝とともにその地の力をお借りさせていただきます。
絶とうとしている命が救われるならと
初めての地こそ流れを繋げることが
大切な信頼関係と思っております。

 「生霊」、過去何度か触れておりますが
言い方は悪いですが現代の中で一番厄介な存在と言えます。
簡単に言えば今を生きる人の思念、自らの生気を
そのまま分け与えた念が実体化した存在であり分身といえます。


なぜ厄介なのかと言いますと
意志を持っているのと同じ存在になるからです。

つまり生霊を出す=生命エネルギーの減少と言えなくもありません。
現に、生霊を出しやすい人の多くが気力減であったり
自らの世界に入り込んでしまっていたり
人の言葉を受け入れる状態に無い事が多く
ある一方向に対してだけ極端に心囚われてしまったり
拘ってしまう状態であるケースが多々。
深い憎悪を常に持ち続けてしまっていたり
常に怒りが心に消えず
晴らせない感情が、繰り返し思い出したり
堂々巡りのように傷つけられた相手が浮かんでは消える・・・


「人は体に魂が宿り今を人として生きている」

と言う説明は誰でも知っていると思います
それが正しいか否かはここでは置くとして
間違いの無い事柄として一つ言えるのは
心があって行動していると言う事実!
そして心で思う事が、時折そのまま起こったり
願う方向に進んだり、想い通りの結果が訪れたり
そんな経験が誰にもあるはずです。

それらを人は偶然として捕らえますし
その後その偶然は、単なる偶然として処理されて終わるものです。
しかしその偶然の中に、どうしても不思議でならない
つまり偶然では割り切れない出来事がいつまでも頭に残り
事あるごとに話をするものです。

あの時のあれはどう捉えても普通じゃ考えられない出来事だった・・・と。


思っている事がそのまま訪れたり思うとおりに進んだりすることは珍しくありません。
人は心で思う事を実現できるように、道筋を作る動きをしているものです。
その道筋には、物理的な作用と精神的な作用の二つが同時に動く事で
その道筋に縁が結ばれる要素が生まれます
どんな縁かは先の二つで変わります。
そしてそこに流れが生じるかどうかは、それが理に通じているかどうか^^)
この3つが揃って実現できるか否かが決まります。

物理的な行いは、肉体を持つ私達はまず先に率先して動かなければなりません
良い結果へ導く縁は、その行動に心が伴っているかによります。
根本的な命の成り立ちや、神仏さまとはいったいなんであるかを
常に意識できるゆるぎない心が理に触れると感じております。


さて、実はこの3つを得ずとも物事を実現できるケースがあります
それは、負の力です。

負とは、正の対極の存在でありどちらも同じ天秤の上
どちらを選ぶかは選ぶ人の自由です。
しかし負は一見近道に視えるため、無意識に選んでしまいやすいのです。

自己犠牲より、自己満足のほうが大切な生き方をしていませんか?
表向き自己犠牲を表現しても、心の中では自己満足を得ているとは
誰も分かりません。
ですが、心で思う事は肉体に現象として現れます。
それが格差の結果です。
肉体的な原因不明の不調の多くがその心身のギャップから来ます。

すると自然に人は心に不平や不満、
妬みの渦が自らの内側でぬぐえなくなります。
その蓄積の日々の中で何とか折り合いをつけようとしますが
いずれすぐにいっぱいになります。
この状態を継続する事は自己崩壊を招いてしまいます

その解決策の一つが「もう一人の自分」

憎しみや恨みなど、余りに強い負のエネルギーが
一つの造形と成し、もう一人の人格として現れるようになります。
恨み憎しみを晴らそうとするマイナスのエネルギーの塊として。

内であれ外であれ同じ気を持つ意志ですので
どちらも基本的には自分に変わりはありません
違うのは存在意義となります。
必ずしもそれだけの話しではありません、ケースバイケースで
様々な事由から負の実現が起きます。
だからこそ肉体を持つ今の自分が何を成すべきか
知らない考えないでは失う時間があまりに大きくなります。


さて、同じケースでも生霊として出さない方もいます
人それぞれ生まれ持つ気が違います、受身の方もいれば
ストレートに発するタイプの方もいます。
放射状に放つ方もいれば、一見発していないように見えながら
いざと言う時爆発的に発する方もいますしそのままの方もいて様々です。

その中であるタイプの気の発し方をする方と言う表現に止めておきますが
生霊を出しやすい方がいます。
一見そうは見えないものですが・・・

生霊は存在意義が明確です。
生霊となるほどの心の負があり、
そこに向ける心の無念や憎しみ辛みを
忘れる事無く抱いている状態から
無意識ではありますが、いうなれば
潜在意識が起こすマイナスの実現なのです。

そしてこれを意識的している方もいらっしゃるのです。
私を怒らせると怖いよ、と自負する霊感の持ち主。
そこまで来るとすでに、その方向のご霊さまの縁を結んでいる事になります。
自分の都合で動くうちはよいのですが、いずれ自らに戻ってくる負に
悩まされ始めます、必ずです!

しかし、想い通りにできていた流れを忘れる事が出来ないことから
その状態に陥りながらでもまだ、都合よく実現しようと心が傾きます。
不調は嫌、不運もいや、何でこうなるの?・・・・ならもうとことんやってしまえ!
とそちらの思惑にどんどん引き込まれていることに気がつかなくなります。

結果
家族すべてにその邪気が襲い掛かり
その負の連鎖を目の当たりにしてはじめて気がつきます
しかし、もうそこまで来ると負の勢いはおさまりませんので
自分ではどうする事も出来きない状態がほとんどです。

そんなケースの家族に何度もお会いしております。
すでに家族は成していなかったり
無意識に常軌を逸した行動をしてしまったり・・・
浄霊師でもどうにも出来ないケースすらあるのです。
言葉を聴くことも出来ない状態・・・・つまり起きているのか寝ているのかも
分からないほど生気を失っていたり。

夜な夜な行っていた、憎む相手への呪の儀式のような形跡多数の室内にも
どれほど入った事か・・・。
生霊は自らの存続しか考えておらず
完全に逆転してしまった互いの立場

そんな念に、今どこに行ってもあいますし
心の世界に沈んでいる方が増えているのに比例して
生霊が増えている現実。

そしてそこまで強くなると
生霊は明確に言葉を伝えてきます。

 「邪魔なんだよおまえが!」 とね。


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今、心がどこにあるかが大切です。
それが念です。

その想いをどこに向けるかで
人生はまったく違うものとなります。


良き念を届ける事で
それが人を守る力になることを
知っておいてください。

どちらも念、その思いの強さが現実に影響を出すなら
どちらを実現させるかだけの選択なのです。




合掌 浄霊師 神島千尋