体験談V心霊の世界
FILE 273【呼ぶ山】 
ある山道を走っているとき
細いわき道の奥に一瞬、赤い鳥居が見えました
通常、通り過ぎるのですが・・・
なんとなく車を止めて、しばし歩きながら戻ってみると
山肌に鳥居がぽつんと迎えてくれました。
鳥居から登山のような斜面を登るとやっと見えてきた社
とても小さな石の祠で、稲荷さまが祀られておりました。
参拝される方が多いのか、お酒が沢山お供えされており
まず、しっかりご挨拶させていただきました。

気を抜くと転げ落ちそうな傾斜の中手を合わせていると
右側の斜面の木々の葉の中で
一枚だけ、それはそれはぶるぶる左右に震えておりました。
風も無い穏やかな夕暮れの中で
一枚だけ ぶるんぶるん これでもかってほどに^^)
余りに沢山のご霊さまがいらっしゃるものですから
そのまま戻ってきましたが
宿る地というのは足を踏み入れた瞬間から空気が違います。
こちらも気を抜きません^^)
変な意味ではなく、筋を通すことの大切さを
そんなところでも学ばせていただけるのです。
互いに気を使う(発する)事の結果はその場で出ます。

山に入り怪我をしたり、迷ったりするなら
それは山に宿る気と、気が合わない状態なのかもしれません^^)



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さて、ちょっと話しは変わりますが
今を生きる人の念にしても
浮かばれぬ想いや訴えの強い霊や思念でも
どうにかしてくれと半ば八つ当たり的な気として受けるとき

もちろん様々な症状で現れますが
一番分かりやすいのは重さを伴う頭痛で現れる事。

いうなれば「きゅんきゅん」来る感じ。
回りブランコや頭を振り回すとき遠心力に耐えながらの
状態にプラス頭痛と言うのが近いかもしれません。


人の気持ちって勝手なもので
相談するときは相手に感謝しますが
繰り返されると、どうにかしてくれない相手に苛立ちを感じる方がいます。
自分の苦しみを取り除けないのに都合の良いことばかり言う・・・・とか。

現実で言うなら、お金を貸してくれるうちは良い人
しかし貸してくれなくなると怒りを表すことさえあるのです。

憎しみやつらさが心に大きく膨らむと、心がふさがれ
他の一切を受け入れにくくなり、自分の思考の中で
答えを求めぐるぐると、ゆっくり下降してしまいます。

亡き方の想いも、まったく同じです。
しかし肉体オ失ってなおその状態の場合一つだけ違う事があります。
それは、改善できない事。
なぜならば、改善する為の行動を起こせないからです。


人はどんなに落ちこんでも、次に進む事が出来ます
足で歩き、手で触れて、言葉と匂いと、
そして疲れたら眠りまた朝の日を目と肌で頂くことで
暖かさを感じ、今を次という先に向かって1日をはじめます。

しかし
本来向かうべきところ、行くべき方向を失いさまようご霊さまは
浮かばれぬ想いを満たす事ができずにつのるばかりなのです。
特別な存在ではありません、誰もが同じ心なのですから。

笑いものにされれば怒ります
自分の居場所を荒らされれば怒ります
伝えたいことを聞いてくれそうな方がいれば訴えます
ただし、もう誰でも何でも良いという訴え方をするほどの状態になっている場合は
受ける側は、かなりキツイ状態となるのは言うまでもありません。

気合で祓おうとしたり無理に引き離そうとすると
逆にしがみつこうと必死に抵抗する事も多く
怒りすらもちなおさら依存し、
受けている人が悪化するケースも多々存在します。

霊を浄化すると言うのは、まず受けている人の心の浄化が必須なのです。
それなくして霊障においての浄霊は不可能です。

相談者さまとのお話は、そのままの図式ではなく
その方に繋がる方々との対話でもあります。
そちらの世界の方々が、それぞれの話の中で現れます。
それは、その瞬間それまで相談者さまが意識した事のない心の方向性が
自分で見えた瞬間、突然開かれる扉でもあり
その繋がりが現れた方は、体が軽くなる感覚があります。
視界もはっきりしますし、顔が別人のように変わります^^(表情がです)

その後、日々継続してすべきことをする事で
穏やかな良き流れを確固たるものにすることが出来るのです。

ついつい惰性に流されると、
最近何かあまり良い感覚が無いな〜と
感じるようになっているのが人間なのです
とってもシンプルでありだからこそちゃんと答えも分かるようになっているのです。

欲に飲まれると不和が生じる → トラブル
感謝を忘れると怒りが生まれる →押し付けや我
人を妬むとそのまま念として戻ってくる →人を呪わば穴二つ
都合よく避けても場面を変えて戻ってくる →どこに行っても何しても同じような繰り返し


どこかでそれらを変えなければならないなら
それは誰かがしてくれることではなく
自分でしなければならないのです。
その決意を、本心では求めていながら
ついつい惰性にながされ後回しにするその心に
魔は刺してくるのです
そこがそちらの唯一のチャンスの隙間なのですから・・・
逃さないでしょう。


滝に打たれる行者を見たことがあると思います。
水をかぶる=清め・禊
冷たさや嫌だと思う気持ち心の隙を打ち砕く行も
朝起きると決めたら眠さを打ち砕く心も
同じという事なのです^^)

それが出来ないからだめではなく
どんな些細な事でも
決めたら貫けるかどうかが大切なのです。

どこで何をしていても心があれば
結果は同じことなのです。





合掌 浄霊師 神島千尋