体験談V 心霊の世界
FILE 261【亡き想い】 
争いごとは今も昔も絶えないものです
他人も身内も
一度争うとなかなか・・・・

とあるご夫婦のお話
「ほんの些細な事で兄弟とモメたのですが
 その後20年にも及ぶ不仲の原因になろうとは・・・」
そんなため息から
自由のきかない体で一生懸命お話を続ける旦那様。

それぞれ家を構えてはいるが
親族の集まりで顔を合わせることになる。
そのたびにどちらも引く事の無い言い争いで終わるのが
恒例の雰囲気となっていたそうです。

ついには、一切の行き来が無くなり
ここ数年は連絡を取り合う事もなくなっていたそうだ・・・

それでも先祖様に失礼があってはならないと
遠地ながら、お彼岸にはお墓参りに行ったそうです。
ただ・・・ 万が一にもお墓で兄弟や親族方々と鉢合わせしないようにと
妙な気を使い、皆がお墓参りする日は避けていたと言う。


お花、お線香を手向け手を合わせて何気なく目に入ったのが
新しく刻まれたお母様のお名前・・・・


えっ?


すでに数ケ月も前にお母様は亡くなっており
葬儀はおろか、亡くなった事すら連絡が入らなかったのです


それからです
夫婦共に体のあちこちに不調がはじまり
二人とも、まるで順番のように手術の繰り返しだそうです。
夫の退院と同時に妻が手術
妻の回復後、夫再手術
夫が完治する前に妻再手術。

そして奥様がお話くださったのは、
お墓参り直後から夢や日常の中で聞こえはじめた
亡きお母様の言葉。

人は時に捉え違いをします。
苦しい、痛い、重い、具合が悪い、吐き気、頭痛、めまい
挙げていくときりがございませんが
それらの原因を、悪いイメージとして始まりの基準にしてしまうと
すべてが悪い側から思考をはじめるようになります。

それが見えない流れの原因だとするなら
邪気やマイナスエネルギー、霊なら悪霊や怨霊と言うくくりになるはずです。

「通る道」と言う言い方があります。
避けて通れないなら、痛い思いも学びとなります。
例えば運動も、こんなに苦しいのにまだやれと言う指導者を恨む人もいます。
学生の頃、これ以上走れないと言う限界なのにまだ走れと怒った顔でまくし立てる先輩や先生を
鬼のように感じたり憎しみが生まれたりと言う事もあります。
ところが後にそれが今の自分の為になっていたと言う事が多々あるものです。

見守るとは、心で会話しているという事です。
心で感じなければ、意を受け取る事は出来ません。
守護を頂いているという事を、形ではなく心で気付くことで
「見守る」と言う本当の力が動き始めるのです。

それで分からずば痛い思いも本人の為

結果的にそれも守る一つの方法であることを知ってほしいのです。


この場合、浄霊師がすることは
浄霊ではなく

供養です。



私が供養する時よく言われることがあります
神島千尋の声以外にお経が聞こえていると
霊感のある方は特にそうですが^^)
私に僧侶さま方々のご縁が沢山ございます
これは今の世と、そうでない世どちらもです
応援をいただける事はとてもありがたい事です
浄霊師として除霊、浄霊をするためには縁がなければ成り立ちません。
供養とは、お経を唱えれば良いわけではなく
その唱える方の繋がる先により、結果は大きく変わります。
お経そのものに何かしらの力があるのではなく
それを唱える方の心がどこと縁を頂いているかが大切なのです。

時には怖い先と繋がっていると思われる方もいるでしょう
数多くの家にうかがっておりますが、見た事も無いような人形や人型の神様と称され
祀られている存在。
こちらは?と聞くと、説明くださいますが
その殆どが、祀る本人が良く分かっていないのです。
以前視ていただいた霊能者さんに祀るように言われた・・・と。

いけないと言っているのではありません。
何を祀るも信じるも、信仰も、全て自由です。
そこをどうのと言うつもりはありません。

ただ、手を合わせるなら、せめて信じる先がなにであるかを
自分の心の中心でわかってからにしたほうが^^)

良いとおもいませんか?

その上で、自分が信じると決めたらなら
それを貫くべきと思いますし、それが正しい道と思います^^)

自分の人生ですもの^^ね。





合掌 浄霊師 神島千尋