体験談V 心霊の世界
FILE 255【魔】 
頂いたメールです
神島千尋先生
ご無沙汰しておりますが、その後ご清栄にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、私は、お蔭様で一週間ほど前に希望していた○○として就職が決まり、
その翌日から勤務するようになりました。
これまでその仕事のご縁はなかったにもかかわらず、
千尋先生にお会いした直後より、希望する話が複数舞い込んできましたことは、
我ながら信じられない思いがしました。
まさに千尋先生のお蔭であると改めて心より感謝申し上げます。
新しい職場にはまだまだ慣れず、今後苦労することも多いかと思いますが、
複数の方からご紹介頂いたお仕事でもあるため全力を尽くす所存です。
神島千尋先生よりご教示頂いた以降、毎朝御札に手を合わせ、
ご先祖様をはじめ私に縁ある全ての方々への感謝の気持ちを
表すようにしております。
今後も迷いなどが生じることもあるかもしれません。
末永くご指導頂ければ幸甚に存じます。
末筆ながら、厳しい残暑が続いておりますので、
くれぐれもご健康にお気をつけください。
神島千尋先生の今後益々のご活躍を祈念申し上げます。

この方のお仕事とは国家の中枢に関わるお仕事です。
それまでの積み重ねがしっかりとされていたからこその縁ですね



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日本と外国では霊に対しての考え方や捉え方が少し違います
霊はもともと生きていた方です
つまり人としてその時代、その環境、その時々を
今の私達と同じようにその国で生活し一生懸命生きた方々なのです。

つまり感覚や感情、人としての生き方や性格、その国やその土地の風土など
生まれ育った環境が、その人の五感の基準となります。

例えば味を覚える時、その家や土地や地域の料理法などを基本の味として覚えます。
環境が変われば同じ食材でも料理も味付けもまったく違います。

人間性も同じように、風土や環境で変わります
自分の常識は人や国が違えば非常識にもなりえるほど違う事があります

さて誰もがイメージする霊とは、必ず人として生きていた存在です。
それ以外の霊のイメージは無いはずです。
つまり人としてその時代その時代を生きていたわけですから
人として生きていた生前の自分の感覚や考え方はそのままあるわけです。

つまり、風土や環境による人としての感覚の違いはそのまま霊にも残るのです。

例えば耐え忍ぶ性格で生前何事も内に秘め、我慢を繰り返し、
無念を抱えたままそれを解放する術を心に持つ事なく亡くなったとします。
そのまま無念の心の存在としてその場に留まり、その抱え込んだ数々の晴れぬ想いが
いずれ黒い負の気となりあたりを包むようになったとします。

長い間その状態のままですとそのまま固着し、その心は一切他を受け入れず、
その家や時にはその地そのものを負に包んでいくこともございます。

その家に住む方は、目で見えなくとも、耳で聞こえなくとも、心は感じるはずです。
あくまで例えですが
意味も無く突然鳥肌がたったり
何か落ち着かなかったり
家や家族が常に暗く感じたり
家にいるのが苦しかったり嫌だったりなど
心の拒絶反応は自己防衛であり、それも立派な霊感なのです。


心に魔は潜みます、その魔を心に満たしてしまったり、恐怖の対象として常に怯えてしまうと
結果として飲まれていきます。
嫌だと思う事は、必ず巡るのが法則です。
例えばアメリカなどの霊の話には、日本とはちがう行動やケースが多く見聞きされます。
積極性を感じたりあきらかにかまったり遊んだりいたずらしているケースが多くあります。
また怒りや無念も魔のような存在となってあからさまに表現してくるケースも多いです。

魔に心を囚われてしまうと、怒りや不満しかない状態になってしまいます。
魔は誰もが心に秘めており、案外使いやすい所に置かれています
使うのは簡単なのですが、それを止める事が出来るかどうか試されているだけなのです。

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怒り顔も笑顔も人の顔。
心も同じです。




合掌 浄霊師 神島千尋