体験談V 心霊の世界
FILE 254【呪】 
霊よりも念のほうが怖い
その通りです。

ケース1)
持病のように頻繁に不調を繰り返す方がいました。

「年齢的なものもあるとは思いますが
それにしてもこのところ特にまたひどい感じで・・・」と
まっすぐ座る事も難しいように少し斜めに傾きながらお話する男性

恨みをかっていませんか?の問いに
「決して恨みなど買うことはない、人を傷つけないように
うんと気をつけて生きてきましたので恨みなど買うはずも無い・・・」 と。



ケース2)
長きに渡り、ここ一番と言う時に限り不運を感じている方がいました。

「なぜかいつも最後はうまく行かないのです。
不調になったり、ここ一番と言う時に無理難題にぶつかり止る。
いつもそうなのです、昔からそう・・・
何か足を引っ張る悪いものでも憑いているんじゃないかと・・・
小さな頃からそうでした、いじめに合い・・・
それからです・・・不運の始まりは・・・」 と。


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関西で撮った一枚です (本文とは関係ありません)

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人にはオーラと波動と気があります。
この中でも、気は人の心にストレートに届きます。
その気の性質により、届かせるちからの強い気を持つ方がいます。
人それぞれ気は違いますが、その気が宿った言葉を言霊と言います。
言葉で話すのはこの世界に生きている人の伝達手段の一つですが
気は心の伝達手段なのです
ここまで話せばなんとなくわかっていただけると思います。
つまり心はそのまま口に出さずとも相手に届いているのです。
それが念です。

上記のお二人は別々の相談で訪れました
しかし、繋がっていたのです
いじめた人といじめられた人として。

いじめた側はそんな事覚えていません
いじめられた側は3〜40年経った今でも忘れていないのです。
ふとした瞬間に思い出しては、その時の苦々しい気持ちがよみがえり
その憎しみは長年のその思考の繰り返しにより
負の思念としてマイナスに安定してしまっていたのです。

さらにその方は強くまっすぐに発する気の持ち主だったのです。
目には見えないその強い気は貫く強さを表します。
プラスに転ずると思いを通す強さとして何処までも
可能にしていける気の持ち主なのです。
しかし
思い出すたび繰り返される負の思念をその強い気にのせて
相手に飛ばしてしまうなら、それもまた貫く強さとして働くのです。
どちらに使うも自分の心なのですが・・・。

これはもはや呪と一緒です。

行いに応じた結果がでる、ただそれだけのことなのです。

上記はほんの一例ですが
どうすれば抜けられるか、それを「納得できる形」で知ると
皆さんのお顔が本当に変わります。
その時の心の光は、誰もが穏やかなのです^^

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先日、がんじがらめのそれはそれは
得体の知れないものに覆われた方が来られました。

何でしょう・・・頭の上、両肩、それぞれ米俵のようなものが一つずつ
乗っかっていると言う表現が一番近いのですが・・・。

相談室は完全に浄化されていますので、
負に飲まれている方のなかには入り口で立ち止まり
意思とは別に入ろうとしても入れない方もいらっしゃいますし
入った瞬間から泣き出してしまう方もいます。

この方は入るなり腰の痛みに襲われておりました。
「あれれ・・・なんだろう、腰が・・・」と
手をあてながら顔をゆがませておりました。
その方の受けている物がそれだけキツイのと、
“そちらの思いの拒否”の表れなのです。

何をするかと言うと何もしません、空間に耐えられないので
そのまま話をしていれば自然に抜けていくものが殆どです。
抜けていく瞬間は分かります。
本人も分かるものです、突然楽になりますから。
手からボールを離すように上下左右方向に飛び去る事もあれば
時には耐え切れずに走り去るように抜け離れていく事もあります。



いつの時代も、本当に怖いのは人のほうかもしれません。


欲妬み嫉妬無念怨念・・・

生前の想いとして残るが霊
今生の思いとして持つが人


さて、俵のような重石を載せられてその方ですが
しっかり祓わせて頂きました、問答無用の方法で。




合掌 浄霊師 神島千尋