体験談V 心霊の世界
FILE 193【先祖供養とは】 

仕事柄先祖供養と言うお話が良く出ます
ではご先祖様を供養するとはどう言う事なのでしょう。

:うちではむかしからこうしているので、それを続けている
:こう聞いたのでそうしている
:先祖の住んでいる所がお仏壇だと思う
:お位牌をまつり、お供えや御香を焚いて供養している
:喉が渇いてはいけないのでお墓に水をかけている
:お仏壇にお写真を置いて毎日話しかけている
:故人さまの好きだったものをいつも置いている

行く先々で様々なお話をお聞きします
自分で考え、こうすれば良いだろう、これをする事でご供養になるだろうと
思いながらする事でしたら、悪い事はないのです。

家に帰って来てみたら家中にゴミが散らかり
粉がこぼれ、破いた袋やかすが散乱し
おまけにお醤油やケチャップが小皿から机や床にまで垂れ
そこに笑顔の子供がいたら、
普通怒りますよね、なんでこんな事したの? と。
でも「お母さんにご飯作ってあげようと思って・・・」と言われたら?
子供にしてみれば、がんばった結果とも言える訳です。

こうしなければいけない、これは駄目というものは
その殆どが人の決め事だったりします。
本当にこれで良いのか分からないままであっても
自分の為ではなく、故人さまやご先祖様を思ってしている事であれば
祟るなどと言う事はまずありませんし、そもそも先祖の祟りなど本来ありません。
霊的な障りや災いはございますが、霊による祟りがあるとしたら
それは成仏していない魂による訴えとなります。
その訴えを受けるには受ける理由があって受けているのです。
受ける必要のない負は受けないに越した事はありませんが
受けると言う事には、自分にも受けてしまう原因がある事をご理解ください。

お仏壇や神棚はそちらとこちらを繋ぐ空間とお考えください。
そこで何を想い、何に合掌しているかを今一度自分の心で感じてみる
その時、心はご先祖様と繋がっているものです。
心の旅をしてくださいと私はよくお話をします。
心の旅とは、目に見ながら考えるのではなく
目を閉じて目の前にある箱から先へ意識の心で旅をする事を言います。
瞑想もそうですが、受身ではなく自らその先、上、そして光へ進んでいく
日常の中で、内なる自分を意識する時間を大切にして欲しいのです。
心は常に今の自分を表していますよね、それを表に出す出さないは別。
オーラとはその心の色を言います、
そして心と体のバランスを表し発しているのが「気」です。
別の物ですが、それらも一つのバランスをとっています。
心身ともに満ちている人は、オーラも気も輝き放っています
ですから、良い印象を持たれるものです。
一方だけ強いと、インパクトはありますが、癖の強さが際立ちます。
こんは話しをしていると脱線して行きますので戻りますが
正座が苦痛なのは、意識が体に集中しているからです。
心、つまり自分の魂に意識が集まると体を忘れます
雑音も一切聞こえませんし気が付きません。
その時見る映像はまるで夢と同じような奇想天外で予期せぬ場面が
次々巡って来る事でしょう。
そして何より、全てが自分にとってまるで心を洗っているような状態となります。
戻ろうと思えばいつでも正座の自分に戻りますし
そもそも始はほんの一瞬で終わります。
その時目を開けると目に映る光はいつもよりまぶしく
そして色彩も変わっているはずです、それは目に映るものが
ただの信号として脳に伝えているだけではなく心で感じてもいるからです。
そこにバランスが生まれます。
一つの方向からだけでしか見ていなかったものを違う感覚で
捉えている事でもあります。

その心で届きますようにと願う事はスムーズに繋がる事が出来ます。
何を届けるか^^、「感謝です」ただそれだけなのです。
それが今を生きる私達へ繋いでくれた事へのお礼なのです。
そう言う想いから供えるものは
そう言う想いから鳴らす鈴は
そう言う想いで焚く香は
その意味を成します。

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さて今年度より神島千尋専用回線(10日開通予定)を設置します
これまでメール中心でお問い合わせを頂いておりましたが
お電話での問い合わせも出来るようになると思います。

合掌

浄霊師 神島千尋