体験談V 心霊の世界
FILE 191【心霊写真】 
年内最後のお写真になると思います











信仰の地と言うのは人も霊も集まるものです
古い塚やその跡地も、今その跡形や面影が無くとも
こう言うお写真をみると、その地を離れない方が
いかに多くいるのかが良く分かります。

今宅地造成して分譲されている所が多くありますが
少なくとも、その土地に住む以上はその地への感謝はもちろん
上物を立てた後もしっかり礼を尽くすべきです。
目に見える物にしか目を向けないと
見えない世界とのバランスを欠きます
見えない世界ばかりに意識を向けていると
目に見える世界での自分を見失います。
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先日と駅で待ち合わせした相談者さまに
「普通の格好で来るんですね^^)」と言われました^^;

はい、いかにも浄霊師と言う格好で歩いている訳ではなく、
車で向かう時は最初から浄霊師の井出達のまま行く事もありますが
交通機関を使うときはとっても目立ってしまうでしょうから
普通の格好でいます(^^; はい。。

行動する所に結果は現れます
どんなに悩み考えてもじっとしていては見えるものは限られます。
限られた中で深い深層に心を置いても
実はとっても浅い事があると言う事に気が付かない時があります
私はそれを何度も経験し、その度にそうかまだまだ入り口にも
たどり着いていないのかもしれないと痛感させられる事もあります。
日々それを学んでいるのだと、折々気付かされます。

頭で考えた答えが正しいかどうかなどが重要ではなく
行動から、結果的に間違っていなかった事を心で実感する事のほうが
大切な気がしています。
それを自分の物とするために、頭で整理しながら
その先を心で考え感じ瞑想するとすぐに導きの案内を受ける事が出来ます。
通じる事の意味を知ります。
想像から見る映像と
霊的に頂くインスピレーションの映像は
まったく違います。
深い想像は、迷い道に入りやすくなります
なぜならば、根底に確信が土台となっていないからです。
導きから視させていただく映像は
本当にその世界に自分の心が行っています
ですので、深い体感として全身を走ります。
その度を終えるとき、自分の魂は浄化されています。
座禅の苦痛を感じなくなるのは心(魂)で今を感じている時であり
体を通してしか今を感じていなければ、
正座はただの苦痛でしかなくなってしまうのです


合掌
浄霊師 神島千尋