体験談V 心霊の世界
FILE 183【神】 
頂いたメールから

昨日は遠い所ありがとうございました。m(_ _)m
先生の存在を知る前は、あまりにも色々な事が起こり過ぎて毎日凄く落ち込んでいる日々でした。
でも先生からのメールを読ませて頂いてから全ては自分たちに原因があると知る事ができ、色々と気づかされました。そしたら気持ちが落ち着き、少しずつ前向きに考えられる様になりました☆
今回、先生とお会いできた事を本当に感謝しています。とても絶妙なタイミングだったのでビックリしてしまいました。ご先祖様も先生とのご縁を結んでくれた様にも感じます。先生との出逢いを無駄にしないように気持ちを入れ替えたいです。
特に、お狐様をあんなにホコリだらけにしておき、手をあわせる事もなく本当に申し訳なかったと、ただただ反省です。自分たちの気持ちが伝わる様にこれからは手をあわせていこうと家族で話をしました。
最後に先生が独り言の様に『なんとか起動にのってくるでしょう…』と言ってくれた様な気がしたのですが…そんな日が来てくれる為にも感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきます。
これからもよろしくお願い致します。



恥ずかしながら、生かされている事が当たり前になっていたかもしれません…何も考えずに毎日を過ごしていたかもしれません(;_;)でも、これからは、心の中から感謝の気持ちを忘れずに毎日を過ごして行かなければと思いますo(^-^)o
PS.遺影を拭いたら今までにない位、透明感がでてピカピカになりました。ただ拭いたから綺麗になったと言うのではなく、曇り空が晴天になったかのような…特に、祖母の顔がスッキリ微笑んでいるように見えます。ありがとうございました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
神様と言う言葉をよく使います
お客様は神様・困った時の神頼み・神も仏もない・神に誓って・
身近な所の神様は?と言われると、神社仏閣や神棚、また教会などを思い浮かべますよね。

では神とはなんでしょう
私は仏道を歩んでいますので、仏様となりますが
人それぞれ信ずるものがあり、そこに象徴する存在がいる事でしょう

私は密教を学んでおります
学んでいると言っても師僧や仏教大学などで学んでいる訳ではありません。
論法も専門書物も読みません。
ではどうやって学んでいるのか?となります。
自然から学んでいます。
意識の中で時空の旅をします、そこで頂く様々な場面や景色、突然違う空間へ導かれたと思うと
劇的に変わる世界感や、無の世界、そしてそこに咲く一輪の花、
きらびやかな世界、暗黙の世界、色彩世界、ありとあらゆる空間存在そして無限
言葉ではとても説明できない感覚を、それにふさわしいタイミングで体感します。
はじめからそうあれば、とても簡単なのでしょうが、それは許されないようです。
やっぱり私は一つ一つ遠回りしながらゆっくり気が付かされる身のようです。

自分の中では、ゆっくり漂いながらも揺るぎなく、常に心の触れている世界があります
明確でありながら表現のしようのないその世界との繋がりを、はっきり意識しております。
だからその時々で思う事、する事、行動する事は全て導きと感じます。
お会いする方皆様が、これ以上無いと言うタイミングや、これで最後と決めてメールくださったり
する事が多いのも、私は導きだと感じます。

仏教大学を出られた方が相談に来られた時
様々な質問をされました、もちろん専門的な難しい質問ばかりです。
私は、自分のこれまでの体験からそれにお答えしました
時折密教僧からの質問メールも頂く事があります。
私は固有名詞をあまり知りません、先に述べたように理論として学ばず
自ら感じ自ら体験する事で学ばせていただいているからです。
そして私にとってそれが必要だから、そう言う事が巡っているのだとも思います。
それを痛感するのが、神島剣二郎師と会うときです。

彼はものすごい勉強家です、半端ではないです。
彼が独自にまとめた密教のノートは、開くのも躊躇するほどの厚さで、
私にはとても読みきれないほどの量ですが、話を聞くごとに不思議に体感するに近い理解を経験します。

意識のなかで、これまで視させていただいた事や行動から経験している事、深く感じている事を、
密教の言葉として聞く感覚だからです。
つまり、私は行動から身をもってそれを学んでいると言う事なのだと理解しております。
だからその世界のお話をする時、私は私の説明方法でお話をします。
それで良いと私は思っております

その土地にも家にも、子供にも、その家で大切にしているものにも、いらないと粗末に扱っているものにも
もちろん神棚にもお仏壇にも、その世界と通じており、その中で私達は生きています。
だから多くの方とお会いさせて頂く事で 私もありがたいと感じるのです。

その繋がりを感じる所に導きが生まれます
つまりそれが敬う心であり、感謝の気持ちなのです。

立派な造形物を前に、これが神様です、と言われたらそれはある意味その通りです。
ですが、そこで自分の意識を止めてしまうと、それは神様ではなくなります。
その個に依存してしまうと、心の成長はそこで止まると感じます。
そこから通じる世界へ意識を無限に広げて行く人は、何が神なのかを魂で感じる事が出来るはずです^^)
形を求めるのは無意味です。

魂で霊的な世界を感じた人は、自分のためではなく
人の為に手を合わせる事ができます。
その時、その人の周りには多くのご霊さまが現れます。
それが応援してくださる方々であり、あなたの想いを見えない世界からサポートしてくれるのです。
すると感謝の想いをどこに向けるのかを自然に理解できます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
信仰や宗教は個人の自由です
私は本来人に宗教は必要ないとも思っています。
ですが今の世は、目で見える形が揃っていないと、
中々そう言う気持ちを起こしにくい世界になってしまっているのでしょう。


合掌
浄霊師 神島千尋