体験談V 心霊の世界
FILE 149【命】 
人として生まれてくる意味を考えた事はありますか?
私は「それまで」考えた事がありませんでした。

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自ら命を絶つ人がいます
それを救おうとする人がいます
生きていても仕方ないと思う人がいます
そんな事ないと説得する人がいます。
皆同じ事しか言わないと言葉を投げる人がいます
それでも生きていれば必ず良い事があると一生懸命説得する人がいます
「あなたには私の苦しみは分からない」と言い放つ。

人は、その人その人にやるべき事があって生まれてきます
そのすべき事をはじめから分かっている人は一人もいません
(例外はあります)
人は脳のほんの数パーセントしか活用していないと言われていますが
それも意味があっての事で、そこに関係しています。
克服すべきことは、どうにもならない状況に追い込まれて乗り越える事で
一歩も二歩も、時には大きく前進する事にもなります。


とある女性の遺影に手を合わせた時の事です
大きなそのお写真には、笑顔の女性
笑顔なのですが目が笑ってはいませんでした、と言うよりその目は
その人そのもののままであり、そこからこちらを一生懸命見ているのです。
ですが、一切動く事ができずに目だけで今の苦しみを訴えていました。
体が一切動かないのです、亡くなった時のそのままの状態が続いていたのです。
浄霊で訪れたのではなく、話せませんが場所柄そう言うお話も出来ない
状況であり、さらにはそう言う話を一切受け入れるご家族さまではない事もあり
いつか機会が巡る事を祈るしかありませんでした。
そしてもう一つ、その状況を作ってしまったのは
その女性本人である事も忘れてはいけません。

どんなに苦しくとも、みずから命を捨ててはだめなのです。
救われないと言いますが、本当に永遠にと言う訳ではありません
ですが本人にとっては永遠に等しいのです。
そして、周りに与える負の影響が大きすぎます。
家族もそう、友人もそう、そして関係ない人にも時には負の連鎖を
負わせる事にもなりかねません。

昔、お年寄りが、親が、お仏壇で手を合わせる姿を
子供は何気なく目にし、そこから手を合わせる事を自然に覚えました。
お仏壇で手を合わせる時は子供ながらに神妙な面持ちになっていくものです。
今それがなくなりつつあります、敬う事、感謝、当たり前に思っている事も
それを築いてきた方々がいたからであると言う事を気付き、改めて
「ありがたい」と心で意識し手を合わせる場が本当は一番大切だと思うのです。
家を建て、きれいな家具は揃えても、神棚やお仏壇は
考えていない人が多いようです。
無ければ不幸になる訳ではありません、心に神仏を想い
目をとじ手を合わせるだけで自他共に浄化してしまうような魂を
持たれている方もいます。そう言う人はそれだけでその場を良い気で
満たしてしまうものです、そこに邪気があろうと負の念がたまっていようと
影響も受けません。
ですが中々誰でもそうはいきません、人の決めたルールの中で損得無しに
動けない仕組みになっている現代、どうしても肉眼で意識できないと
心が入りにくくなっているのでしょうね。
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もし、死にたいと思うのであれば、お仏壇の前に座り、本尊をじっと見つめ
そこから先に繋がるであろう世界を自分なりに旅してみてください。
もしただの仏像でしかなければ、それは自分の意識がそこにまだ
縛り付けられているだけです、縛っているのは自分です。
願いなど思わず、邪念も捨て去り背筋をただし
本尊様を見つめさせていただくと言う気持ちで全体を一点とし見つめます。
身の回りで音が出るでしょうがそんな程度の事に心を引っ張られる事が
御座いませんように。
いつしか体が、周りの空気と同化しているように感覚がなくなり
頭で考えていた事が心で考えている状態になります。
動く気配をはっきり認識する事もございますが、それはそれまで肉眼に
頼っていた景色から魂で感じた瞬間です。
ですが長くは続きません、何かが動いたと感じた瞬間すぐに元に戻るからです。
目の前の神仏(仏像)から先に繋がる世界に意識が繋がると
はじめは小さな光をみる事があります、これは肉眼でもはっきり分かるときがあります。
その光はとても大切で重要で、それを機に意識の変化を起こす人は多いはずです

それを導きとするかどうかはその人しだいです。
その人の思いに応えるように動く事もありますし、思った所に現れる事もあります。
それが可能になると、集中する力がつきます

そしてその頃にはそれまで大きな悩みであったり
苦と感じている事が突然軽く感じたり、時にはとても小さな事に思えるでしょう。
これを書くか否か少し悩みましたが、自ら死を選んでしまう前に
気がついて欲しい大切な事を知ってほしいのです。

空も、風も、地面も木も、全て気に満ちている事を理解すると
ただ立っているだけでもありがたく感じます。
すると生きる道が見えてくると私は思っています。