体験談V 心霊の世界 FILE 143【奇跡の先】 |
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御仏壇に手を合わせているし供物をお供えしているので供養はしていると思う そう考えられている方がとても多いです 「毎日水も代えてますし」と。 確かにそれはその通りなのでしょう。 おばあちゃんが好きだったお饅頭もちょくちょく買って来ています。 それはおばあちゃん嬉しいでしょう (おばあちゃんは例えです) ですが、なぜか生活は苦しいし家族皆運も良くない、そこに来て自分も体調崩し・・・など。 〜ちょっと頂いたメールを一通紹介します〜 毎日、ご飯とお茶をかえてお線香をたいて手を合わせてるんですが、これだけで充分神様やご先祖様は満足してくれているのかってたまに不安になります。ただ、こちらに引っ越してきてから、例えば金銭的に今月どうしよう?ってなったときでも何とか日々不自由しない程度に暮らせています。これが、神様、ご先祖様に生かされているってことなのかな?と思っています。ご先祖供養をすることで流れがかわりますよって言われてましたが、こういうことなんでしょうね。ありがとうございます。ちょっと涙ぐんでしまいました。私は私なので進歩も少しずつだとは思いますが、毎日毎日気持ちあらたに頑張ります。主人と出会わなければ、○○さんと出会ってなければhiroさんに会うこともなかったですし、お仏壇に手を合わせる機会もできませんでした。そして、自分自身を変えようと努力する事もなかったです。本当にありがとうございます。 ○○さんは、私が以前浄霊した方で、メール送信者さまはその方のご友人のようです この方は大きな気付きをしています 誰しも幸せになりたいと願います、裕福になりたいと願い幸運が舞い込む事を望みます。 そこに幸せを見出そうとしすぎるあまり、現状に不満が生まれるのです。 なぜ不満が生まれのか、それは他人と比べるからです。 人は一人一人皆違います、自分と友人は違うのです、人より良くなりたいと思うなら 人よりがんばれば良いだけです。 すると必ず「がんばっているのに良くならない」と言うでしょう がんばっている人はそれを見て感心している人がいます、信頼の念を心に抱く人もいます。 重要な事を任される人もいます、時には自分で嫌だと思う事も頼まれるでしょう ですが、大変な事を任されるのは信頼があるからでもあります。 自分では物が積み重なる事ががんばった結果として現れる事を望んでいるかもしれません。 ですが誰も口に出さないが、誰もが抱く信頼も大きな財産なのです。 視野を広く持つと言う事は、目の前の結果だけを求めていても見えません おばあちゃんが好きだったから供物をお供えすれば供養になる、その気持ちは良く分かります ですが、おばあちゃんの為の仏壇ではせっかくの供養も、行き届きません。 お仏壇は観音開きです、観音開きの意味を理解すると自然にその先の広い世界を意識してきます。 自分との繋がりが通ってくると、それまでと何ら変わらない生活の中でも、変化が出てきます。 その変化に気が付いたのがメールの方です。 仏飯やお茶がそのまま供養であるとそこだけに囚われるのではなく、敬う気持ちを大切にする事が 供養となり、結果自らへ良い流れが徳となり戻ってくるのです。 結果を先に求めても原因がなければ何も生まれません、極論ですが。 幸せとは、その人の心で感じるものです、他人より良いか悪いかで図る限り、 どこまでも行き着くことの無い欲に囚われます。 人を幸せにすることが出来る人は心が裕福なのでしょう、心が裕福な方は欲がありません 欲が無い人は損得で動く事がありません、損得で行動しない人の原動力は慈悲心です 慈悲心には大きな力が手を貸してくれます、大きな力に助けられている人は時に奇跡を起こします。
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