体験談V 心霊の世界
FILE 142【廃寺】 
頂いたメールです
ブログに2007年7月30日魔界道の中の「真言や印に・・・」から最後までのくだり、 そこに書かれてある事私には痛いほどよく解るのです。 これを読んでいると胸が熱くなり涙が止まらず溢れ出してくるんです。 そして今日もそのブログを読んでいると涙が自然と流れてきてふと見た掌にキラキラ輝く金粉のような物が一杯付着しているのに気がつきました。両掌にです! 輝き方、光っているものは長野県篠ノ井にある民家の窓ガラスの観音様へ行った時に掌にでるあの金粉とまったく同じ感じのものです。身体中で何かとても暖かいものが沸き上がってくるのを感じました。気持ちをまた新たにしてくれるとてもありがたい一日でした。
長野県篠ノ井にある民家の風呂場の窓ガラスに浮き出た観音様と、
その後その地中から掘り出された球体の大きな石(その波動の強さから布をかけてある)は以前
書きましたので詳細は端折りますが、手をかざしながら堂を一周すると多くの方が手に金粉が出ます。
それが楽しくて20年ほど前毎週のように通った事があります。
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さて、話は変わって ある相談者さまとのつながりから、何の情報も無いまま某県の山奥の廃寺を探し巡った時の事。
まったく分からない土地で流れに任せ導かれるままに行き着いた廃寺での出来事。
参道らしき所には念仏の石碑や子安地蔵さまが草むらの中に建っておりました。
しっかり挨拶をしその地へ足を踏み入れると、草むらに広がる静寂と波紋のように広がる霊的な空間
その昔、一帯の菩提寺として節目には盛んに訪れていたであろう人々も今は殆ど来る事は無いのでしょう。
それでも、ぽつんと立つ子安地蔵には途中で消えた香が数本残っていた

遠めですので分かりずらいと思いますが、和装の女性です。優しい方だったのですね(明治〜昭和の初め頃の方)

神社仏閣は神仏と繋がる空間であり、その為に日々必ず礼拝し日々新しい気持ちで
繋がりを大切にさせていただく場。
その為の真言でありその為のお経でもある。
しかし当然そう言う場所に集まる霊もいます。
例えば成仏していない霊がそこにいたとして、ある日突然廃寺となると
やはり寂しさがより一層大きくなるのは当然のこと。
建物自体はしっかり抜かれているようで、なんら伝わってくるものがなく、まるで空っぽの感
ですが、石仏はそうではないようで・・・
そこで手を合わせた瞬間から空気が一気に変わった
頭上をつむじ風が駆け抜け、突然空中でパチパチと音が鳴り出した。
御神木的な存在だったであろう気高い老木がその風で一瞬大きく揺れる
音はさらに数を増し、まるで襲いかかってくるかのごとく勢いを鎮める為に
持参した沈香をお供えさせていただいた、たかが香と侮る無かれ
日々本尊不動尊の祭壇脇にて浄化している香、煙立つと同時に陣が引くようにスッと静寂が戻る。

そして晴れた日差しの温かさが戻った時、遠慮深くとでも言いましょうか女性の霊が姿を視せた
その昔幼くして亡くなった童女の母なのでしょう
そしてその地蔵さまは小さな御霊の供養として建てられたのでしょう
隣には南無阿弥陀如来の石碑がありましたので西方極楽教主南無阿弥陀如来に導かれ、
私の献ずる香がご供養となりますように(※)せつにお祈りさせて頂きその地を後にしました。

※ そう言う意味合いのお唱えをしたと言う説明です。