体験談V 心霊の世界
FILE 122【除霊法】 
自分のお守りを持っていますか?
神社やお寺で購入したり頂いたお守りもあれば
数珠や教本をお守りにしている人もいます。
インドやネパール等の独特のお守りもあります。
開運グッズをお守りにしている人もいます。
何を目的にしているかによりますが、一番大切なのは依存しすぎない事。
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身を守る物として何かを持つと、気持ちの中で安心感が生まれます。
その後すぐに何か悪い出来事に見舞われたとして、
事なきを得るとすぐにお守りのご利益と考え
ありがたいな〜と感じる事でしょう。
しかし、いつしかそんな事も忘れてしまい引き出しや
ポーチの底からよれよれのお守りが出くる。
そして捨ててよいものかどうしようか困る事もあります。
頂いた神社でも良いですし、近くでなければその地区等で
毎年行われているどんど焼き(お正月様等を集めて広場や
道祖神等でするお焚き上げ)等で白い和紙に包んで燃やせば良いです。

さて本題に入ります
私は金剛杵を彫ります、時にそれを除霊等でも使います。
以前10センチ程の小柄な独鈷杵をとある人に彫り差し上げました。
その方は人を思いやる心を持っており、亡くされたお身内の方を
供養する気持ちはもちろん、友人知人に対しても本気で心配し喜び
困っていると自分を犠牲にしても一生懸命尽くすと言う方です。
ところが、霊感が強く霊障として現れてしまうタイプの人でもあったのです。
この方には必要だと感じまして独鈷を彫り差し上げたのです。
「使えませんよ恐れ多くて」(法具としての意)と言いながら、それを使う出来事に見舞われました。
大勢で出かけた先で女性の霊の影響を受けて帰ってきたようでそれから長い期間体調不良で苦しみ、独鈷を使ったそうです。
不動尊にて念入れをしていたので不動明王の名を口に独鈷で肩を2,3度なでたそうです。
すると体が軽くなり、楽になったそうです()

その独鈷の力だと思いますか?
もちろん念入れした独鈷にも癒す力があります、しかし一番はそれをする人、使う人の心が
通じているか否かなのです。
つまり、その辺に落ちている棒でも石っころでも同じ事が出来るのです。
違うのは、通じる為の入り口としているかいないかだと私は思います。
どう言う事かといいますと、例えばある物をお守りとして持つとします。
それを持ちいつも念じていると、その物にも念は入りますが、供養心や感謝の気持ちが
霊界へもすぐに届きます、それは目や耳で感じるものではなく魂で感じますので
自然に穏やかな気持ちにもなりますし何とも心地よい高揚感も湧くでしょう。
次にそのお守りを手に持つ時もそうなりやすくなるアイテムとなります。
そうしていくうちに、守護霊・ご先祖さまに自然に感謝の念が生まれます
そうなるとお守りは俄然力を発揮します!
未成仏や邪気の影響も受けにくくなりますし、例え受けてもお守りを手に静かに合掌している
だけで体が軽くなります。
これはこれまでお会いした多くの相談者の方が経験していますが、本当に体から何かが抜ける
感覚を自覚しますし、同時にそれまでの痛みや不快感が一掃します。

そして有縁無縁一切霊等への供養心も意識するようになります
そうすると自然に悪い気を受ける事もなくなります。
同時に何かをやりたいと思うと自然にうまく行く方向に流れて行きます。
具体的に言うと、やりたいと思う事に詳しい人と知り合いになったり、こうなると良いなと
思う事が自然にやって来たり、事実私がそうですので。

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そんな事言ったって・・・と思う方の為に、簡単な除霊法を。
自宅に御仏壇があればそのご本尊、無ければ菩提寺のご本尊、
それが分からない場合は、観音様でもお不動様でも良いです。
日の出前にお風呂場でよいのですので洗面器で真水を3回かぶる。
かぶる前に神仏の名前を3回唱え、早く強い呼吸を8回した後かぶります。
(南無○○←○は本尊等、観音様は南無観世音菩薩・お不動様は南無大聖不動明王、また知っている方は
真言でも良いですが、拘る必要はございません、宗教も宗派も関係ございません、お地蔵様でも阿弥陀様でも
良いのです、要するにこれから穢れを落とすと言う魂の決意表明と思ってください)

その後日の出の太陽を浴び合掌。
ゆっくり深く深呼吸し地の気を吸い込みます、呼吸を止めて体の中でそれを圧縮するように

大きな球体を作るようにイメージし、入れ替わりに体内に巣食う邪気がその球に押し出される
イメージを持ちながらできるだけ長く吐き出します(これ以上出なくなるまで)×3回。
一回だけでもかなりの効果がありますが、最低でも3日は続けてください。
どこぞで受けた未成仏の影響などに効果がありますし、それを実感できるでしょう。
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そして実感できたならば、忘れてはいけません、唱えた本尊への感謝を。
ご先祖様・守護霊にも
そこを忘れてしまうから同じ繰り返しになってしまうのです。